戸岩谷にある約7m程の巨石で中央から2つに割れている。柳生宗厳の修業中この戸岩谷に分け入ったところ天狗がいたので試合をした。そのとき宗厳が一刀のもとに天狗を切り捨てたと思ったが、刀はその場にあった巨石を2つに割っていた。これを後世一刀石と呼ぶようになったという。
道の西側に見える豪華な石垣は、もと柳生藩財政の立て直しをした家老小山田氏の屋敷で石垣に天保12年(1841)尾張石工が築いたと記している。昭和31年人の手に渡ったが昭和39年作家山岡荘八氏の所有となり、昭和46年放映のNHK大河ドラマ「春の坂道」もここで構想が練られた。
■芳徳禅寺
神護山芳徳禅寺という。寛永15年柳生但馬守宗矩が、亡父石舟斎供養のため創建、以後柳生家代々の菩提寺である。但馬守の友人沢庵禅師の開基で柳生の里を一望に見下ろす山王台上にある。ここはもと柳生家の居城の地といわれ、石段、掘割、見張り場など、かきあげ城の名残を今にとどめている。
「柳生藩旧記」によると柳生宗厳の屋敷は紅葉橋付近にあったが、柳生但馬守宗矩が亡父宗厳の菩提を弔うため芳徳禅寺を建て、ひきつづき正木坂の上に陣屋の建築を始め3カ年を要して寛永19年(1642)に完成、その後宗冬が増築、設備を整えたとある。陣屋は、延享4年(1747)に全焼し、仮建築のまま明治維新を迎え柳生藩庁舎となったが、その後公売された。今は史跡公園として整備され、休憩・散策の出来る憩いの場となっている。
柳生下町の丘の麓にそびえる老杉があった。それを十兵衛杉と呼んでいた。寛永3年、柳生十兵衛三厳が諸国漫遊に旅立つ際、先祖の墓にまいり、この杉を植えたといわれる。樹齢約350年余を経て今は落雷のために枯れてしまっている。